「百円の恋」痛みの内側の熱に触れる
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もしも映画の神様がいたならば、間違いなくこの映画には降臨している。
あらすじ
松田優作の出身地・山口県で開催されている周南映画祭で、2012年に新設された脚本賞「松田優作賞」第1回グランプリを受賞した足立紳の脚本を、「イン・ザ・ヒーロー」の武正晴監督のメガホンで映画化。不器用でどん底の生活を送っていた女性が、ボクシングを通して変化していく姿を描いた。実家でひきこもり生活を送る32歳の一子は、離婚して出戻ってきた妹とケンカしてしまい、やけになって一人暮らしを始める。100円ショップで深夜勤務の職にありついた一子は、その帰り道に通るボクシングジムで寡黙に練習を続ける中年ボクサーの狩野と出会い、恋をする。しかし幸せも長くは続かず、そんな日々の中で一子は自らもボクシングを始める。14年・第27回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞。米アカデミー賞の外国語映画賞日本代表作品に選出されるなど高い評価を受け、第39回日本アカデミー賞では最優秀主演女優賞、最優秀脚本賞を受賞。(映画.comより)
安藤サクラという天才
映画の中盤まで、だらしなく弛んだ身体を露呈し、これでもかとダメ人間オーラを放つ安藤サクラ。
しかし、すごいのは中盤からラストにかけて、見事なまでに絞り上げていく彼女の女優魂である。
最初の3日間は怠惰な身体で撮影し、残りの10日間で10kgの減量を成したというから、そのプロ根性には脱帽である。
身体だけではない。冒頭に見せた、恐ろしいまでの負のオーラが、物語が進むにつれ姿を潜め、ラストシーンではまるで別人なのである。
何なんだ、安藤サクラ。
何なんだ、この天才は。
「かぞくのくに」でも、安藤サクラの素晴らしさは鳥肌が立つほど感じていたが、その存在感には今をときめく女優を凌駕する圧倒的な力がある。
そんな彼女の魅力を最大限に引き出し、その実力を証明したのが「百円の恋」だったのだ。
個性派ってなんだ
新井浩文といえば、個性派俳優と呼び声高いが、この人ほど当たり前にどんな役でもこなしてしまう俳優も少ない。
そこにいることが自然。どのカットに彼がいても、その姿は浮き上がってもいないし、変な存在感を発するわけでもなく、その人物なのだ。
つまりは憑依している。
どの作品にも新井浩文はおらず、その人間としてそこにいる。
個性派なんて一括りに語れない、新井浩文は天才肌の自然派俳優なのだ。
個性派といえば、劇中に出てくる坂田聡の方がよっぽど個性的だった。
(すごい嫌な役。この顔ムカつくな。と思わせるこの人もすごい俳優だ)
人はみんな大なり小なり戦っている
この作品の素晴らしいところは、分かりやすくだらしない主人公の一子が、ボクシングを通して32年間の怠惰な生活を一瞬で取り戻すような爽快感を共に味わえるところにある。
何も感じず、不感症にすら見える一子は、実は誰よりも傷つきやすく繊細で純情で、張り詰めていた糸が一気に切れるのが、新井浩文演じる狩野に硬い肉を出されて笑いながら泣きだし、寄りかかってしまうシーンに込められていて、思わず一緒に笑い泣きしてしまう。
それだけで観ているこちらとしては、不器用な一子を抱きしめたい衝動に駆られるのだが、予想を裏切らず、呆気なく蔑ろにされ、この32年間のフラストレーションを全てボクシングにぶつける一子が、とにかくカッコいい。
劇中で二段階に分けてトレーニングのシーンが流れるが、その導入がどちらも素晴らしい。
言葉で「クソ野郎」「馬鹿野郎」と表現するのは簡単だが、この映画には言葉が少ない。だがそれがいい。言葉なんかなくても、一子の気持ちが痛いほど伝わってくるのだ。駆け抜けるような音楽と、ただひたすらに自分を鼓舞する一子の姿は涙無くして見られない。戦っているのだ。
それは、日々を戦う私たちの姿にも通じ、また今沸々と悩み続けるスクリーンのこちら側の私たちに優しく力強く、諦めるなと静かなるメッセージと熱を送ってくれている。その想いは、確かに私に届いたのだ。
この映画の真骨頂はラストの試合にある
この作品の熱は終盤冷めることなく、ラストシーンの一子の試合に全て込められている。
鳥肌が立つとか、そんな表現しか出来ない自分を憎むが、とにかく観てほしいのだ。
そして感じてほしい。
試合シーンの安藤サクラの目を観てほしい。
ホンモノの目を。
ホンモノの熱を。
29年間の少ない映画鑑賞量ではあるが、間違いなく私の一番好きな映画になった。
フィクションだけど、この映画に嘘はない。